通学路
施工中の house M の現場は事務所から自転車で行ける範囲なので、
天気が悪くなければ自転車で現場へ行っています。
道のりは中学に通ったり友人の家に遊びに行く時に通った道があり、
ゆっくりと懐かしい風景を見ながら当時の思い出を巡らせています。
今日はゆっくりと寄り道しながら懐かしい道を通りました。
すると、そこにあった記憶の風景が無かった。
よく通学していた時に見ていた数寄屋建築の住宅。
庭にせり出した居間には大きなガラスの木製建具が作られており、
そこで主人がいつも庭を眺めながら気持ちよさそうに腰を掛けていた光景を見て、
中学生ながら、良い家だな~と思っていました。
高校から建築を学びはじめた時も、社会人になり建築の仕事をしている時も、
その道を通りその住宅を見ると、教科書を見てるような感覚で、
「良い建築をつくるのだよ」と、その建築を通して建築をつくった方に言われている様でした。
背筋がぴしっとなり、やる気を与えてくれた建築のひとつ。
そんな建築があった敷地の跡には、分譲されてサイディング貼りのよく見かける普通の住宅が数件建っておりました。
私にとっては大切な風景でした。
勿論、いつかは取り壊される時が来るのですが、まだまだ住めたと思うし建物としての価値に加え、
その街並みの風景としての役割も大きかった。とても残念でした。
相続の関係か土地を分譲して売ってしまったのでしょう。
もしその土地に建て直すことになった場合、その土地の風景の記憶や建築への想いを継承して、
そこに相応しい建築を建てる選択もできただろう。
分譲をしてしまう事は、それらすべてをリセットしてしまう行為ではないでしょうか。
広い土地を所有する事が難しい時代、背負う物を軽くして先が見えづらい未来のために、
お金を蓄えておきたいという流れになってきて、大切な物が見えにくくなってきている様にも感じました。
この通学路は、学校では教えてはくれない私にとって大切な事を教えてくれた道でした。
その建築の風景と存在を大切に心に刻み、その土地の環境や想いを大切にし、住まわれる人にはもちろん、
通りすがりの人々に大切に思っていただけるものづくりをしたいと改めて思いました。
人も建築も、なきものの存在は偉大なり。